20年ほど前に「泥流地帯」「(続)泥流地帯」という三浦綾子さんの作品を読みました。これは大正15年におきた十勝岳の大噴火を舞台に書かれた小説です。上富良野の地で、貧しさの中でもたくましく生きている家族を、そこの兄弟を中心に描いています。
物語の後半に十勝岳の大噴火が描かれ、祖父母・両親が築いてきた田畑が泥流で流されます。登場人物の多くも命を落とします。つつましく正直に生きてきた人々の幸福を奪う不条理を徹底的に描きます。
2011年3月11日14時46分。私は事務所でお客様の確定申告を作っていました。ちょっと大きめの揺れが来て、NZの地震のことも頭によぎりましたので、すぐに事務机の下に身を置きました。長い時間の揺れではありましたが最悪の地震ではないことから、これは東京に近いどこかでの大地震であろうと確信しました。
インターネットを見ると、福島県・宮城県沖の地震で津波に注意とあります。Twitterを見ると様々な情報が飛び交っています。NHKニュースを動画サイトのUstreamで見ることができるとわかり、パソコンでNHKニュースをずっと見ていました。津波に流される街を見て、すぐに「泥流地帯」を思い起こしました。
このコラムを書いている3月13日の午後6時時点で、南三陸町や大槌町の大規模の安否不明や福島原発の事故の実体は明らかではありませんが、近代日本の歴史上最大規模の自然災害になってしまいました。
まだまだ悲しい現実が次々と報道されることと思いますが、それでも必ず復興のときがやってきます。
「(続)泥流地帯」の中で、「正しい者に災いがあるのは、どうしてもわかんねえなあ」と言う叔父に対し、主人公の兄である拓一が答えます。「叔父さん、試練だと受け止めて立ち上がったときにね、本当の意味がわかるんじゃないだろうか、俺はそんな気がするよ。」
復興には、お金や物資が必要です。それと同時に、被災した方々にとってのそれぞれの心の支えが必要に違いありません。自分自身に何ができるかを問いかけつつ、被災した方々が復興に向けて希望の力を持てることを願わずにいられません。